緊急事態宣言を不安に過ごされている方に、先人の知恵をご紹介します

東京では新型コロナウィルスの対策として、4月7日に発令された緊急事態宣言が、当初予定の5月6日ではなく、概ね1ヶ月延長になるとの事です。

僕は金融機関勤務の正社員なので、会社の業務命令によって現在は営業ができません。まあ、給与所得の雇用契約であれば報酬は確保できるんでしょうけど、、、

僕の待遇は「フルコミッション(完全歩合給)の事業所得」なので(笑)

収入はなくなるし、収入を得るための一切の活動を禁止されている、という凄い状態にあります。

ははは、、、笑うしかありません(笑)

 

そういえば、自営業やフリーランスの方が、仕事が減ったとおっしゃいますが、僕の場合は「仕事は禁止」という状況!もう、これ、収入を得る事を諦めろ、極論をいえば、座して死を待て、ということです。

実際、ご連絡を頂いたのに、契約をお待ち頂く(いつになるか分からないのにです)か、お断りするしかない、まあ「まさかという坂」は起きるのだな、と今更ながら思う訳です。

そう、これぞリスク(不確実性)

1ヶ月前には想定できなかった状況ではありますが、何があろうと、過去と現在と未来があり、僕らは今を生きていくことになります

 

ちなみに、僕は保険屋というリスク(不確実性)からお客様を守る事を仕事にしていますので、当面の準備はそれなりに出来てはいます。

なぜなら、大部分の問題点は「お金」で解決できるので。とはいえ、予想を超えた不確実性には、やはり戸惑います。

 

そんな時、参考にできる書籍や言葉が僕にはあります。阪神淡路大震災、リーマンショック、東日本大震災など、その都度、思いだす先人達の英知の事です。

今回は、そんなお話を書いてみますので、よかったらお付き合い下さいね。

 

 

夜と霧」という書籍をご存知の方も多いと思います。

著者は、第二次世界大戦時のナチスドイツによる強制収容所から、奇跡的な生還を果たしたユダヤ人のヴィクトール・E・フランクル氏です。

精神科医だったフランクルは、冷静な視点で強制収容所での出来事を記録するとともに、過酷な環境の中、囚人たちが何に絶望したか、何に希望を見い出したかを克明に記しました。

この「夜と霧」は、時代を超えて人を引きつけています、多分、単なる強制収容所の告発ではなく「人生とは何か」を問う内容だからなのかな?と僕は思います。

 

ただし、先に書いておきますが、読み進むにつれて、事実の悲惨さ過酷さが、これでもかと溢れ出てきますよ。

今、あまり気分が乗らない状況であれば、読む事をお勧めしません。

でも、そんなフランクルの精神科医であり心理学者という科学者的な怜悧な文書が続いていくにつれ、ある種の透明感や清浄感が、読者の内面に生じてくるという不思議な現象を体験されると思います。

それは恐らく、人間の尊厳とは何か、生きる意味とは何か、という哲学的な命題が、細かく深く描かれているからではないかと、僕は思います。

 

戦後、フランクルは様々な著作や講演活動などを通して「人生はどんな状況でも意味がある」と説き、生きがいを見つけられずに悩む人たちに、メッセージを発し続けました。

それに関連する書籍もいろいろありますので、ご興味があればぜひ探して読んで見てくださいね。

 

 

さて、強制収容所では様々な「選抜」が行われ、ガス室に送られるか、あるいはどの収容所に移されるかは、ちょっとした偶然で決まったそうです。

これは有名な話ですが、そういった先が見えない中、強制収容所ではクリスマスに解放されるとのうわさが広まったことがありました。

しかし、実際にはそんな事は起こらず、期待が裏切られると、急に力つきてしまう人が多かったようです。

 

希望が断たれると自暴自棄になり、食料と交換できる貴重な煙草を吸いつくしてしまう者もいたりする過酷な環境の中で、フランクルは考えます。

心の支え、つまり生きる目的を持つことが、生き残る唯一の道であるのではないかと。

フランクルは、こういった収容所での出来事を通して「生きる意味」を学び取ろうと決め、人間の心理について冷静な分析を行い、これを糧に生き延びます、そしてついに解放されるのです。

 

 

実は私たちは、自由で、多種多様な可能性があり、自己実現が約束されている環境こそが幸せだと思っていますよね。

でも、病気などに見舞われた時、その希望は潰えます、今回のような感染症の発生という災害も同じ事だと思います。

だから、強制収容所に入れられるなどいうのは、その最悪のケースと言って良いと思います。

 

しかしそれでも、フランクルはこう考えるのです「幸せは、まだ近くにあるのではないか」と。

確かに人というのは、様々な欲望や自己実現だけではなく、家族愛や仕事への思入れなど、他者や社会に対する様々な使命感というか、想いを持って生きていますよね。

 

フランクルはこう記します「人は、今を大事にして、自分の本分を尽くして、人の役に立つことをする」それは、どんな状況でも、人の本質なのかもしれないのでは、と。

だから、そこに「生きがい」を見いだすことが、大事なのではないかも、と。

 

 

そして、フランクルは強制収容所では、極限状態でも人間性を失わなかった者が居た事を描いています。

囚人たちは、時には演芸会を催して音楽を楽しみ、美しい夕焼けに心を奪われたそうです。そう、ライフ・イズ・ビューティフルという映画でも、これを活かして描かれていますよね。

フランクルは、そうした姿を見て、人間には「創造する喜び」や「美や真理、愛などを体験する喜び」があると考えるようになります。

 

しかし過酷な運命に打ちのめされてばかりしていては、こうした喜びを感じとることはできないのだと。だからこそ、運命に毅然とした態度を取り、どんな状況でも一瞬一瞬を大切にすること!

それが生きがいを見いだす力になると、フランクルは考えるのです。

 

 

今の時代でも、誰かからの幸せを待っていたり、環境のせいにしていたりする方の多い事多い事、、、本当に「生きているだけで丸儲けなのに」と思うことが結構あります。

幸福を感じ取る力を持てるかどうかは、運命への向き合い方で決まるのだと、フランクルも説いています。

そしてこう記しています「生きる意味は自ら発見するもので、苦しみは真実への案内役」なのだと。

以下は、僕の手元にあるのが霜山徳爾氏訳の旧版なのですが、そこからの引用です。

 

人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。(中略)人生はわれわれに毎日毎時問いを提出し、われわれはその問いに、詮索や口先ではなくて、正しい行為によって応答しなければならないのである。人生というのは結局、人生の意味の問題に正しく答えること、人生が各人に課する使命を果たすこと、日々の務めを行うことに対する責任を担うことに他ならないのである。

 

人間が持ち得る様々な価値のうち、与えられた状況や運命に対してどのような態度を取るかという「態度価値」だけは決して奪われることはない、というフランクルの思想がまさに実体験を通して語られるのが、この「夜と霧」という作品です。

つまるところ、与えられた苦悩に対して、「意味」を見出すことができた者だけが、尊厳を失わずに生きる意志を持ち続けられた、と語られており、これぞこの残酷なまでの作品の中で見出された光であり、希望であり、どんな状況であれ、人は希望を持てる!という圧巻の結論なのです。

さて、今のこの状況、皆さまはどのような態度で望みますか?

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木﨑 利長

木﨑 利長

ざっきー
1968年名古屋市生まれ。金融機関に勤務。クライアントの事業価値を向上させる事を目的とし、仕事を通して取り組んでいます。
化学メーカーの住宅部門に約9年。1999年2月生命保険会社に、ライフプランナーとして参画。
具体的には、上場企業を含む約80社の親密取引先のご縁を中心に、生命保険契約をお預かりしており、財務や資金繰りといった経営課題ついての改善や、売上を伸ばすための営業研修など、お客様の事業価値を向上させるための具体的なソリューションを提供し、経営者の弱音をも受け止められる担当者を目指し日々精進中です。
 (※このブログでの意見は全て個人の意見であり所属する団体の意見を代表するものではありません。)

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