「弧宿の人」をご存知ですか?他人の家族という価値観もあるのです

2月末が、僕の所属する会社の締めだったので、最後までいろいろ取り組んで、こだわってみました。

僕は営業という職種だし、やっぱりビジネスパーソンだから、数字にこだわる必要があると思います。

なぜなら、組織の中にいて、お客様がいて、僕が社会と楽しく接するためにも「継続」する必要があるのだから、やっぱりこだわった方が楽しんだろうと思うからです。

ビジネスというものの究極のミッションは「継続」することだから、そしてビジネスは楽しいものだし、刺激もあるし、新たな出会いもあるのだから、僕はやっぱり数字にこだわりたいのですね。

そうゆう意味でも数字にこだわることで、自分自身を見つめたり、成長させたり、客観的な評価を知り得たりと、命がある限り、どうせ一度の人生なのだし、今しか感じることができないんだから、僕は少しでも今日よりも違った明日にワクワクできるんじゃないのかなって。

その為に、知らないことを知ること、いろんな教えを請うこと、そして、実践して、数字で確認すること。

これは、数字にこだわっているんじゃなくて、数字に感謝をしているんじゃないのかな、とも思います。

 

 

さて、営業の締めは終わりましたけど、3月1日から新年度のレースが、また始まりました(笑)

とはいえ、一年という制約があるのは、ありがたいなと思いますし、新営業年度に入り、新たなテーマでの仕事を心の底から楽しもうと思います。

 

休日なので、NHKの「深読み読書会」でも取り上げられましたミステリーの女王、宮部みゆきさんの、時代小説の最高峰と言われる「弧宿の人」について、書いてみようと思います。

僕にとっては、学ぶということの意味と、これから先の人間関係を、啓示したのではないかと思える内容なものですから、ちょっとお付き合いくださいね。

 

宮部みゆきさんといえば「火車」や、「理由」「模倣犯」「ソロモンの偽証」「レベル7」など、現役でミステリーの名著を書かれている作家さんです。

その宮部みゆきさんには、いくつかの時代小説があり、10年ほど前に書かれた「弧宿の人」は、そのカテゴリーに入る、と言われていますが、僕は実は違うんじゃないのかなって思っています!

僕にとっては、「江戸時代を舞台にしたファンタジーで、シンデレラストーリーで、人の関係性を予言している」と思っているからです。

 

さて物語は、江戸時代、11代将軍徳川家斉の時代です。

この時代というのは、天明の大飢饉のあとではありますが、今に伝わる江戸情緒、食文化で言えば、蕎麦や寿司が庶民のものとなり、手習いや寺子屋が整備された時代でもあります。

分かりやすく言えば「落語」で表現される人情や機微が形作られた江戸庶民の時代と言った方がわかりやすいかもしれませんね。

 

物語の舞台は、北は瀬戸内海に面して南は山々に囲まれた讃岐国、丸海藩です。そう、丸亀藩じゃなく、実は全てが宮部みゆきさんが作り上げた、架空の世界なのです。

時代背景は江戸後期を使ってはいますが、物語の細部は、宮部みゆきさんによって作り上げられた架空(ファンタジー)の世界なのです。

主人公は「ほう」という女の子です。

身寄りもなく江戸から金比羅代参に連れ出された9歳の「ほう」は、この丸海潘の地で、捨て子同然に置き去りにされるのですが、運よくさじ(藩医)を務める井上家に引き取られます。

この、医師を表現する言葉として「さじ」って出てくるんですが、これ、宮部みゆきさんの造語!このあたりからも、単なる時代小説ではないことが分かります。すっごい素敵な世界観なんですよ〜

 

文字も読めず、書けず、物事を知らない「ほう」は、周りからは、阿呆の「ほう」と言われていたにも関わらず、井上家の琴江が、優しく面倒を見てくれます。

物事を知らなかった「ほう」ですが、優しく諭し、読み書きを教えてくれた琴江によって「学ぶ」ということを経験していきます。

 

しかし、幸せな時間は長く続きません、ここから物語は、予想もしない展開へ動き出します。なんと、その琴江が毒殺されてしますのです!

折しも、流罪となった江戸幕府の要人であったにも関わらず、何と!妻子など家族全員と、近しい部下をも全員、斬って捨てるという猟奇的な罪を犯した「加賀殿」が、丸海藩に送られてきます。

丸海藩としては、極悪人とは言え江戸幕府の要人の身柄拘束を引く受けるわけですし、「加賀殿」を丁重に扱いながら、何かことがあれば、それを口実に、江戸幕府から取り潰しにもなりかねない、政治的火種を抱えることになりました。

そんな状況での、琴江の毒殺、、、

丸海藩では、他にも不審な死や、毒殺が横行し、丸海藩のさじ(藩医)である井上家は、ある意味「薬とともに毒を扱う家柄」として、いろんな凶事に巻き込まれていく事になります。

 

物語りは、後期の江戸時代をバックボーンにしているものの、宮部みゆきさんが作り上げた世界の中で進んでいきます。

そこには、ミステリー作家ならではの殺人などが起きますが、犯人探しをするわけでもなく、犯人はわかっているのに、時代背景から罰っせられないなど、これはミステリーなのかと思える展開で描かれます。

翻って、市井の人々の暮らしや、「ほう」を取り巻く日常の仕事や暮らしなどが、丁寧に描かれ、慎ましくも日々を大切に生きている人々の生活が、とてもリアルに迫ってきます。

 

詳しいあらずじまでは、本書をご一読いただきたいので書きませんが、孤児である「ほう」が、井上家に拾われ、日々の暮らしの中で、与えらえた仕事というか家事を大切に取り組んでいきます。

そして、その日常の中で、人が皆持っている「知りたい」という気持ちから、琴江など井上家の人々に、読み書きを学び、成長していく、そんな、何気ない日常の物語り、僕はとても素敵だと思います。

 

さて、そんな「ほう」の日々が大きく変化する出来事が起きます。

江戸幕府より送致された「加賀殿」は、妻子と側近を惨殺した祟り神、丸海藩に厄災を運んでくると言われているわけですが、その「加賀殿」のお世話役に「ほう」は井上家から出される事になります。

悪鬼と恐れられる「加賀殿」は、他方で江戸幕府の要人であり、預かっている丸海藩にとってはVIPであることも、また事実です。

さらに罪人であるわけですから、監視を行いながら、合わせて警護を行うといった、難しい役割を果たさねばなりません。

そんな環境ですから「加賀殿」の身の周りの世話をする婦女は少なく、「ほう」は丸海藩の要職でもある井上家からの依頼で、下女として「加賀殿」の元に行く事になります。

「加賀殿」が謹慎させられている「涸滝の屋敷」と言われる屋敷では、緊張を強いられるため、些細な争いが多く、その様な理由もあり、下働きをする人は少なく、そんな中でも「ほう」は与えられた仕事を、粛々と続けます。

 

ある日「加賀殿」を暗殺しようとする丸海藩の非主流派が屋敷を襲った際に「ほう」は、なんとか屋敷の床下に逃げ隠れ、生き残ったのですが、その為に、襲撃した仲間ではないかという、厳しい咎めを受ける事になってしまします。

まだ、子供にも関わらず、警護をする大人たちは「ほう」を責めますが、そんな時、響のいい声がして、割って入った人が居ます。

 

「頑是ない子供を相手に、逆上せて怒号を上げるなどの武士の恥。其処許らの軽挙は、畠山公(丸海藩の藩主)の恥にもなろう、落ち着かれよ」

と「ほう」へ咎を掛けるのを止めます。

そして

「刀を納めよ、下女に何の危険があろう。あるいはこの座敷に踏み込んだ咎で、この子を斬るか」「無用の殺生に及ぶつもりであるならば、まずはこの加賀を誅してからにして頂こう、下女に罪はない」

そう、「ほう」を救ったのは、悪鬼と恐れられていた「加賀殿」その方だったのです。

 

これをきっかけに「ほう」は、世捨て人の様になっている「加賀殿」との心の交流が始まり、日常の仕事をしながらも「学ぶ」という事を欲していた為、手習いを教えてもらう事になります。

「ほう」という子は、時頭の良い子なのですね、そして、家事仕事も、させられているというよりは自ら生きるためにする、という子です。この物語は「ほう」の成長し、独り立ちをしていく物語でもあります。

 

そして、この師弟のシーンが、とても素敵です!

たぶん、宮部みゆきさんは、このシーンを書きたくて、この世界観を作り出されたんだなと、僕は思いますもん♪

 

「加賀殿」は、とある深い理由があって、自ら妻子を惨殺したわけですが、丁度「ほう」と同じぐらいの歳の娘もいたので、家族を失くしたもの同士が、学びを通して関係性を深めて行くこのシーンを読むだけでも、僕は救われる様な想いがありました。

僕もね、何度が、ある日を境に突然、家族をなくしているので、、、もちろん、殺した訳じゃないけど。

実は、この物語には、ちゃんとした家族が、ほとんど出てきません。身寄りがなかったり、家族が欠けていたり、事情があって独りで生活していたりと、、、

あれ、これって高度成長をした近代日本の都会で、よく見られる様になった事じゃないですかね?

 

ミステリー作家の宮部みゆきさんが、江戸時代という世界を使って書かれてのが、この「弧宿の人」です。

しかも読み進んで行くと、ミステリーでは起きる殺人事件は、当然起きるわけですが、謎解きのない、不条理な殺人や、災害が次々に起ってきます。

そんな中で描写される、何気ない日常がとても素敵ですし、主人公である「ほう」は、自分ができる家事や身の回りの仕事を、拾ってくれた井上家の人々や、その後姉の様に接してくれた「宇左」や、手習いを教えてくれた「加賀殿」に当たり前の様に行います。

これは、比較的多くの日本人が持っている、勤勉で真面目に働くというメンタリティに他なりません。

ひとつひとつ学びながら、成長して行く「ほう」を描く事で、この点では日本でしかあり得ないシンデレラストーリーです。

そして、学び教えるという関係性を深めていく事によって、身寄りはなくても生じる新たな人間関係があるのではないか?という宮部みゆきさんの問いかけ、ではないのかとも思えるのです。

物語の中では「加賀殿」が「ほう」に、とある理由から、屋敷を去りなさいと伝えるのですが、「ほう」は、それでもなお、学びたいと思います。学ぶという事の大切さ、学ぶということの価値を「ほう」は知ることで、成長していくし、人との関係性の深さもあわせて、稀有なものであり、本当に奇跡の出会いなんだという事を、教えてくれている様な気がします。

 

さて、僕の想い入れが強いのかもしれませんが、「他人の家族」という言葉は、今後の僕らが生きている世界では普通になっていく様な価値観なんじゃないのかなって思うのです。

そしてその事を、ミステリーという手法を使わないで、架空に作りあげた世界観の中で、時代小説の形式を取りながら描かれているこの物語は、逆説的ではありますが、実は最高のミステリーなんじゃないのかな、と思えるのです。

 

詳しくは書きませんが、この物語では人が次々に死にます。不条理に命は失われますし、不条理に人と人が別れさせられます。

でもね、根底には「人は生きている時に、どう生きるのか」という事を伝えてくれている気がするのです、そんな魅力を持った物語なのです。

まあ、僕のとっては、書きたいことは山々あるのですが「弧宿の人」本当にお勧めなので読んでみてください、どの様な方にとっても、最良の物語との出会いとなる様な気がしておりますので、ご紹介をさせていただきます。

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木﨑 利長

木﨑 利長

ざっきー
1968年名古屋市生まれ。金融機関に勤務。クライアントの事業価値を向上させる事を目的とし、仕事を通して取り組んでいます。
化学メーカーの住宅部門に約9年。1999年2月生命保険会社に、ライフプランナーとして参画。
具体的には、上場企業を含む約80社の親密取引先のご縁を中心に、生命保険契約をお預かりしており、財務や資金繰りといった経営課題ついての改善や、売上を伸ばすための営業研修など、お客様の事業価値を向上させるための具体的なソリューションを提供し、経営者の弱音をも受け止められる担当者を目指し日々精進中です。
 (※このブログでの意見は全て個人の意見であり所属する団体の意見を代表するものではありません。)

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