この世に真実があるとすると、それは「人は死ぬ」という事

僕はざっきー、保険屋さん、しかも、生命保険という人が亡くなると支払われる、という生命保険契約の募集という事を、仕事にしています。

「生命保険の仕事」というだけで、嫌な顔をされたり、避けられたり、人の死を金にかえるってなんて仕事だ!という扱いをされたりと、、、

 

とはいえ、最近の僕を目の前にして、そんなこといって来られる事もなくなって、残念なんですが(笑)

 

まあ、弊社の新人なんかの話を聞いてると、転職してきてから、いざ、自分が販売側になると、これほど世間から見た場合に、ネガティブなイメージを持たれていたとは!って、びっくりして、とても不安です、、、なーんて話も聞きます。

 

最近の僕は、本当に関わりがあったり、ご縁のある方の「死」に接してましてね。

そんな僕は、「死」についてどう思っているのか、そんな話を通して、「生きている」って事に対して、少しでも「あれっ」って思っていただく事があればと思いって、このブログを書きました。

 

どうしても伝えたいことなんです、経営者の皆さんにも、読んで頂けると嬉しいな。

 

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さて、

僕はこの生命保険の募集人という世界に、18年間いますけど、僕は今までに、生命保険契約の納品を、14件担当させて頂いています。

 

そう、

人が亡くなって、それによって、生命保険会社の担当者として、ご遺族に「保険金」を支払ってきました。

 

そう、

見る人が見れば、人の死によって、金を払った、という流れは事実ですし、何も間違ってはいません。

でもね、その「保険金」って、そもそも、誰のお金だったのかを考えてみると、いろんな事に気付きますよ。

 

 

最近の僕は、真理とか、原理とか、モラルとか、コンプライアンスとかといった社会規範を、それほど重要に思っていません。

 

あの、守らない訳じゃないし、ちゃんと理解もしているし、一般の方よりも、自らを律して、守っている自負もあるんですけどね、、、

 

簡単にいえば、「そうしなきゃいけない」とか、「そうすべきだ」とかを、他人にも、自分にも強制していない!っていうと、伝わりますかね。

 

誰かが大事に思っていることを、くさしたりもしないし、否定もしないし、かといって肯定もしないで、「なるほど、そうなんだ!」って、そのまま受け止めるようにしています。

 

もちろん、仕事柄、数字の話とかも散々するので、1+1=2なんだけど(笑)

人が本質的に持っている可能性は、そんな事だけでは推し量れなかったりするので、1+1=∞もありえるよ!というスタンスです。

 

大丈夫、皆さんが気付かないぐらいのところの数字を、ぐりぐりして、詳細を詰めて、解説や具体的な解決策は、大胆に、分かりやすくしているだけなので、まあ、まるっと任せて頂いて、大丈夫ですよ。

 

いかん、話がそれた。

 

そんな僕でも、この世の中に、何かこれだけは「間違いのないもの」がある、としたら、それは「人は必ず死ぬ」という事だけだと思っています。

 

死は、平等です。

今のところ、誰もそれから逃れる事ができませんし、しかも、いつ起きるのか、誰にも分かりません。

 

僕は、14件の「保険金」の支払いという尊い仕事を通して、「死」は人に対して、無残にも、不条理にも、優しくも、苦しくも、ありとあらゆる感情の渦となって襲ってくることを知っています。

でも、僕自身が「死」の当事者として経験した訳ではないので、本当はどんな感じなのか、分かりません、、、

周りの人が感じる事を、側で感じているだけです。

 

でもね。

 

社会的な動物である人の場合、どうしても「生き物としての死」以外に、「社会的な生き物としての死」があり、「経済への影響」が生じてしまうのです。

 

生命保険契約というものの本質的な機能を、ルックスルーして考えると、「死」によって生じる、その人が将来に渡って生み出すはずだった、経済的な価値に対する損出を埋める機能という事なんだと思うんです。

 

そして、その生命保険契約が支払う保険金の原資は、もし、自分自身に「死」が訪れた時に、家族や、誰か大切な人に、将来的に渡すはずだった経済的価値を、同じ心配を持ったもの同士で、細かく分かちあって負担している、そんな仕組みなんです。

 

そう、仕組みとしては、人の知恵である数学を使った「大数の法則」という確率論だし、

理念としては「収支相応の原則」として、仕組みを運用する保険者、それに参加する契約者、そして、その対象者と、最終的な受取人の平等性を明確にしています。

 

そして、支払い準備をする責任準備金を、金融機関として運用する事で、信用創造を産み出し、保険者の安全性を高め、合わせて透明性も高めたのが、生命保険という仕組みです。

この事を、もっとちゃんと伝えることこそ、生命保険募集人のすべきことです。

 

 

さて、以前、僕がある方に「保険金」をお支払した時に、伝えた言葉のことも、書かせてくださいね。

 

ある時「保険金」の納品の際に、保険会社の担当者である僕に、受取人である奥様が、「ありがとう」と言ってくださいました。

 

その時に、僕の口から出たのは、「この保険金は、ご主人様が、あなたのために、万が一の時に残そうと思った想いと、同じ想いで加入され、支払われた、どこかの誰かわかないけれど、同じ想いの方々が支払った保険料の総和です。われわれ保険会社というのは、その仕組みであって、保険金というのは、同じ想いの方々の、想いのこもった保険料というお金なのです」

これは、必ず、申し上げている事です。

 

だからね、「保険に入りたくない」とか、「保険の話をするな」とか、「保険は嫌いだ」って言われても、僕は、何とも思いません(笑)

だって、そんな狭い感性しかない人を、この想いの仕組みに入れたくもないし、触れても欲しくないから(笑)

僕は、そんなスタンスなんです。

 

どうして、こんな話を書いているのかというとね、「死」がいつ訪れるのかは、誰にも分らないからなんです。

僕はたぶん、その経験を、仕事を通してもだし、生い立ちもそうだったから、比較的知っているのかもしれませんけどね。

 

 

最近、

この「死」にまつわる話で感銘を受けたのは、心屋仁之助さんの言葉でした。

 

心屋仁之助さんが主宰する、Beトレっていう自己啓発系のセミナーがあるんだけど、その時に、心屋仁之助こと、ぢんさんが話してた話を紹介しますね。

 

ぢんさんが言いました。

 

「もう、生命保険とか全部やめちゃった(笑)」

 

ですって!保険屋のみなさん、何か、ザワつきませんか(笑)

 

で、続けて、

 

「そもそも、生命保険って、損得ってないやろ!、

 おかしいやろ!

 生命保険の得って「死」ぬ事なんだけど、

 それは得なのか?って話。

 

 だから、そもそも、死んだらどうなるとか、

 損か得かって考えるんじゃなくて、

 生命保険に入った、だから「死」んでもええ、

 だから、もう「死」の事なんか考えんで、

 横に置いといて、、、

 「生」きることを考えんかい!」

 

って。

 

これ、正論なんよね。

 

でね、

経済的準備が既にあれば、生命保険契約って、まあ、いらんからね(笑)

これファクトね!

 

そうそう、気付いたのは、「生」も、「死」も、どちらもあるし、だとしたら、「死」を意識しちゃえば「生」は、もっと大事に生きられるんじゃないのかな?って話なんですよね。

 

僕ね、かつて、僕を愛してくれた人に言われた言葉があるんです、

 

「明日がある、なんて思う事は、とても傲慢なこと」

 

これ、最近、頭の中でリフレインしているのね、そんなに重い意味じゃなくて、普通の日常にこそ、本当のたからものがいっぱい詰まっている、そんな感じがするんだ。

だから、朝起きたら、感謝しようね、今日があるってっさ。

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木﨑 利長

木﨑 利長

ざっきー
1968年名古屋市生まれ。金融機関に勤務。クライアントの事業価値を向上させる事を目的とし、仕事を通して取り組んでいます。
化学メーカーの住宅部門に約9年。1999年2月生命保険会社に、ライフプランナーとして参画。
具体的には、上場企業を含む約80社の親密取引先のご縁を中心に、生命保険契約をお預かりしており、財務や資金繰りといった経営課題ついての改善や、売上を伸ばすための営業研修など、お客様の事業価値を向上させるための具体的なソリューションを提供し、経営者の弱音をも受け止められる担当者を目指し日々精進中です。
 (※このブログでの意見は全て個人の意見であり所属する団体の意見を代表するものではありません。)

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