ざっきーです、こんにちは、今日は僕の大切な友人がシェアしていた「善き人のためのソナタ」という映画について、少しでも知っていただきたく、書いております。
ご覧になられた方もいらっしゃると思いますが、僕、個人的には閉塞感を感じる時や、ご自身の価値観が揺らぐときなどに、ご覧になると、いいんじゃないかなって思いまして、ご紹介させていただきます。
ああ、完全にネタバレしていますが、これを読んでみて頂いても、間違いなく、感じるものがありますよ。
(ネタバレ嫌いな方は、読まないでね)
まえがき
さて、
この「善き人のためのソナタ」という作品は、2006年公開のドイツの映画です。そして、2007年アカデミー賞外国語映画賞も受賞しています。
僕にとって、この映画を見ることは、ぐっさりえぐられる刃でもありますが、救いの光でもあります。だってさ、主人公であるヴィースラー大尉に関しては、僕自身とオーバーラップするところ多々ありましてね。
ちょっと恥ずかしいだけど、やっぱりお伝えしたいだな。
そして、それは、経営者の皆さんにも、必ず共通することろがあるんだから、ぜひ、一度、興味を持って頂いて、ご覧になっていただくきっかけになればいいなと思います。
全体主義的な監視社会であった当時の東ドイツ、その中で、政府の示した方針を信じ、愚直に受け入れた、ある意味純粋で、社会性に低く、自分の欲望をも抑えていた「普通の人」が、主人公である、ヴィースラー大尉です。
一定の思想、同質化された群れる社会、全体主義、価値観の違いを認めない排他性などは、ドイツ人の日本人に共通する特性です。
個人よりも全体を優先しがちな民族性がお互いにありますから、ご覧になると気づきますが、今の僕らの社会のどこかに、似ていますからね。
僕は、思う出すだけでも、相当、心が痛いんだけど、だからこそ、一度、見てほしいなと思い、書いています。
ウィキべディアから引用しますが、舞台は、東西対立の続く東ドイツのベルリンです。
ヴィースラー大尉はシュタージ(東ドイツの秘密警察)に所属し、精力的に仕事をこなす有能な男だった。
ある日、彼はドライマンという作家の監視任務を任される。
ドライマンは反体制派の作家として、かねてより当局から監視対象とされている男だった。
ドライマンのアパートに盗聴器を仕掛け、出入りを監視する日々。いつも通りの手慣れた仕事のはずだった。
しかし、ヴィースラー大尉はある日、報告書に嘘を書いた。
この嘘は監視対象であるドライマンをかばうものだった。
なぜ、このような行動をとったのだろう。
ヴィースラー大尉の中で何かが変わりはじめていた。(ウィキべディアより引用)
1984年、冬の東ドイツのベルリンが舞台です。主人公であるヴィースラー大尉は、通称シュタージと呼ばれる秘密警察の優秀な役人で、尋問のプロでもあり、大学でも後輩に対して尋問の手法を抗議するような教師でもありました。
当時、東ドイツを覆っていた社会主義というのは、今から振り返れば非人道的な全体主義であった訳ですが、社交的でもなく、器用でもない大尉にとっては、規律とルールによって、当時の東ドイツの政府を支えた社会主義体制に忠実に従うということは、彼なりの誇りであったと思います。
あらずじ
そんな彼が、ドライマンという作家の盗聴監視任務を命じられたことから、物語は始まります。
ネタバレですが、職務に忠実な彼は、任務の対象であるドライマンを、結果的に、秘密警察であるシュタージの逮捕から守るという行動に出ます。
職務にとても忠実で、あるいみ真面目なヴィースラー大尉は、社会主義の敵とすら嫌悪していたドライマンを助け、自らを窮地に追い込むような真似をしたのか、それは、良心が目覚めたというような、単純なものではないことを、この映画は丁寧に描いています。
実は、真面目な彼だからこそ、丁寧に盗聴し、報告をすることで、ドライマンの恋人である、女優のクリスタが、実は、ヴィースラー大尉の上官のさらに上の大臣と、関係があったことを暴き出してしまうのです。
これが公になれば、ヴィースラー大尉の上司だけではなく、その上の大臣までもが連座するスキャンダルであり、純粋なヴィースラー大尉とは違い、社会主義であろうと、全体主義であろうと、思想などは関係なく、己の欲望のために、その社会体制で権力を得ている人たちにとっては、まったくもって好ましい行為ではないことになってしまうのです。
そんな、職務に忠実なヴィースラー大尉から見ると、不信感を抱くような上官の対応に対して疑念が生じてくるのです。
仕事とは?
そもそも、ヴィースラー大尉は、社会主義国家のために働く忠義の人であり、上官や、大臣は、実は、自分の欲望のままに働いていることを知ってしまいます。そう、彼らは、自分のことしか考えていないのではないか、自分が信じてきたことは、こんなことのためだったのか、、、
ヴィースラー大尉は、自分自身の仕事を通して、この現実を知り、自分自身の中に矛盾が生じていることに気づくのです。
国家のためと思えばこそ、忠実に盗聴や、監視などという任務をこなしてきたわけですが、上官からは、自己の出世のために、任務を曲げろと要求されてしまいます。
彼は、社会主義のためにではなく、個人の欲望のために、市民を盗聴、監視している、となると、自分は何のために、仕事をしているのか、、、
ヴィースラー大尉は迷い始めます。
価値観の違い
そんな中、監視しているドライマンのところへ、クリスタが大臣の車でやってきますが、ヴィースラー大尉は、ドライマンに、クリスタと大臣の関係を気付かせるよう仕向けますが、、、
ドライマンは、傷つくどころか、全てを受け入れ、翌日も、何事もなかったかように、クリスタを受け入れます。そう、ドライマンは、すべてを受け入れており、クリスタに寄り添っていたのです。
次回の監視の際、ヴィースラー大尉は、ドライマンの部屋に忍び込み、自分自身の整理された、無機質の部屋とは違い、雑然とした机や、乱れたシーツがそのままのベットなどを確認しながら、一冊の本を持ち帰ります。
そして自分の部屋にコールガールを呼び、自分に足りない、人の温もりに気づくことになります。
愛とは?
ヴィースラー大尉は、愛というものがわかりません。僕もわかりません、、、
だから、刺さるのかもしれませんが、愛とは何かをちゃんと自分の言葉で言えることができるようになるのが、人生そのものかもしれません。
だって、ドライマンは、恋人であるクリスタに裏切られたのに、ただそれを受け入れます。ヴィースラー大尉の思惑は、二人に関係を、破綻させることであったのに、そうはなりませんでした。
そして、一方、自分自身の温もりを得るために呼んだコールガールは、時間が来ると、さっさと帰って行きます。
そして気づくんですよね。ヴィースラー大尉の考えていた愛と、ドライマンとクリスタの愛は違うものだってことに気づくんです。
ヴィースラー大尉の部屋は、整理整頓されていて綺麗だけど、無機質で何もない部屋(僕の前の部屋かよ!)と、ドライマンの雑然としているけど、そこには生活があるという対照的な部屋。
そして、ドライマンの部屋には、人の本当の温もりがあり、愛があることに気づくわけです。
正直とは何か?
ヴィースラー大尉は、最初、ドライマンに嫉妬をいだき、クリスタの秘密を暴きましたが、それがか違ったことを知り、盗聴と、監視をしながら、ドライマンを理解しようとします。
ドライマンの中に、自分の中にはない、何かを見つけたからです。
それでも、西側諸国の文学などに共感するドライマンのような芸術家に共感したわけではなく、あくまでも、自身の愛というものへの興味のために、心が動いたのだと思います。
それを理解するために、職務に忠実だったヴィースラー大尉は、ルールを破って、監視対象であるドライマンの部屋から、一冊の本を持ち去ります。その、芸術家たちが、何を大事にしているのかを知るためにです。
だって、ヴィースラー大尉は知ってしまったんですね、ドライマンたち芸術家は、自分の理念や信念に嘘をつかず、監視や、盗聴されても貫いているのです。
でも一方、自分の上司や大臣は、社会主義という理念を掲げながら、裏では自己の利益のために、その体制を利用しているのです。
ヴィースラー大尉の目には、どちらが自分自身に近く見えたのでしょうか、、、
目的と手段
人としての幸せなのは、どのような生き方なのでしょうか?自分の欲望に素直な、上司や大臣なのか、はたまた、ドライマンたち芸術家のように、自分の理想に素直な方なのか。
考え方か、イデオロギー、主義などというものは、本来は人が幸せに生きるための手段や道具に過ぎないはずなのに、、、
大事なのは、人の幸せという目的のはずが、手段や道具を大事にしてしまいがちです。
もし、大多数の人を不幸にする主義主張であれば、それは抗うべきだし、伺うべきです。主義主張のために、人が犠牲になるなどというのは、目的と手段を間違えている、本末転倒の状態ですよね。
僕が、この映画で伝えたいのは、ここの部分です。
自分の理想や、その想いや、主義主張というのは、手段であって目的ではいけないのです。人は、それぞれが違うし、人の関係を砕くことに、そんなものを使ってはいけないのです。
いろんなものを、なくした僕だから言えます。取り返しがつかないことは、しない方がいいのです。なくしてからでは、遅いのです。
だから、経営者の皆さんに、見て欲しいんだな。
それぞれの価値感
ヴィースラー大尉は、自分自身の幸せのために、ドライマンを助けることを決断します。
ドライマンの盗聴と監視は、自分一人だけの職務とし、虚偽の報告書をあげ、更には、ドライマンが反体制派である決定的な証拠さえも隠匿し、シュタージの家宅捜索から守ります。
でも、クリスタを助けることができませんでした。
ヴィースラー大尉の二人とも助ける方策も虚しく、クリスタは行き違いで自殺してしまうのですが、僕は、クリスタは覚悟の自殺だと思います。
彼女は、大臣にもドライマンとの関係がばれ拘束の上、罰せられる可能性がありましたし、何よりも、女優を純粋に続けたいがため、ドライマンを裏切ってきたという「償いきれない過ち」があったからなのだと思います。
ドライマンの信頼を裏切るとは、彼の愛だけではなく、ドライマンと出会う前から、彼女自身が、暗号名まで持つシュタージの情報提供者であり、ドライマン自身だけでなく、その友人や、クリスタ自身の友人までも、裏切っていたからなのです。
だから、彼女は、自らの行為に耐えられず、この捜索をきっかけとして、死を選んだと思います。
真理とは理解じゃない
クリスタは、純粋に女優という仕事を愛し、舞台に立ち続けるために情報提供者になったのです。
そう、彼女も、自分の理想のために、できることをしたまでで、そもそもが、そんな非人間的な行為をさせる社会体制の方が、おかしくないでしょうか?
この映画では、社会主義、全体主義の本質的な怖さと、人が持っている愛というものの奥深さを、この作品はじわじわと炙り出します。
でもね、ここまでじゃなくても、なんかおかしいな、本来の目的は、ひとりひとりが幸せになることなのに、争ったり、排除したり、批判したり、陰口叩いたり、そんなことしていませんか?
どれだけの高邁な理念や理想があっても、目的は人それぞれの幸せです。手段と目的を取り違えると、恐ろしいことになる例を、深く、深く、この映画は描いていきます。
ああ、書いていて、僕は、辛いのです。かつて自分がしてしまったことや、取り返しの出来ない言葉の数々、、、
すべては、手段と目的を間違えたため、なのかもしれません。
人生は選択の連続
何かがおかしいぞ、と思った時、その違和感を黙殺するのか、、、
それとも、自分の考えで進むのか、僕らの日常は無限の選択の連続です。
でも、その人生の岐路に立つような選択に直面した時に、自分の考える正しい選択をするというのは、本当に難しいことなんだと思います。
だってさ、流れに乗って、見て見るふりをして、流されていけば、その方が楽だし、安全だからね。
そんな時に、一歩、踏む出す勇気というのは、本当に尊いことなのかもしれません。
僕なんぞ、胸を張って生きている人生だとは到底思えませんし、それをするのは困難なぐらい「弱い」と自覚しておりますが、でも、もしかしたら、自分自身に恥じない「選択」をすることはできるかもしれません。
その選択を積み重ねることこそが、人生に対する誇りを得られる、第一歩なのかもしれません。
時間はすべてを飲み込みます
ベルリンの壁崩壊の2年後、ヴィースラーは、チラシ配りの仕事をしています。かつての役職も待遇もなく、困窮した経済状態にあることは容易に想像ができます。
そんな時、ヴィースラーは、書店のショーウインドーに貼られたドライマンの新刊「善き人のためのソナタ」の発売の広告です。
ページをめくるヴィースラーは、ドライマンが書いた、短い記号の書かれた献辞を目にして、気付きます。
ドライマンは、かつての監視者であり、恩人でもあるヴィースラー、現在の体制が変わり、生活を落としている彼に対して、感謝を伝える唯一の方法として、ドライマン自身の手で、ヴィースラーという「善き人」を登場させる本を書くこと。
これを選んだわけですね。
そして、それを見つけたヴィースラーは、書店の店員に、こう言います。
「私のための本だ」と。
分からないから、人生を歩むのかな?
愛とは何か、自分の心に従うとは何か、本当に自分のしたことを選ぶ勇気があるのか、、、
この映画は問いかけます。
そして、人生とは無限の選択なわけですが、人の真価というのは、その選択の時に試されているのではないかと。
それが、自分にとって本当に美しい人生なのか、本当に「善き人」でいられるのか、これは、自分自身でしかわからないことなのかもしれません。
木﨑 利長
化学メーカーの住宅部門に約9年。1999年2月生命保険会社に、ライフプランナーとして参画。
具体的には、上場企業を含む約80社の親密取引先のご縁を中心に、生命保険契約をお預かりしており、財務や資金繰りといった経営課題ついての改善や、売上を伸ばすための営業研修など、お客様の事業価値を向上させるための具体的なソリューションを提供し、経営者の弱音をも受け止められる担当者を目指し日々精進中です。
(※このブログでの意見は全て個人の意見であり所属する団体の意見を代表するものではありません。)
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