「政治家になる人間に、本来、ろくなやつはいない」と、第二次世界大戦を戦い抜き、英国を勝利に導いた当時の首相、ウインストン・チャーチルは言いました。
そして、こう続けます。
「だから、選挙に出たいやつなんて、
ろくでなしばかりだ」
「選挙に出るやつなんて、金儲けしたいやつか、
目立ちたがりのやつばかりだ。
まっとうなやつは選挙になんか出ない」
と。
まあ、チャーチルは、自分自身が大政治家でしたから、この言葉には説得があると思います。
もちろん、英国人らしい皮肉の効いた言い方ですが、チャーチルの凄いところは、「ろくでなしばかりだから誰にも投票しなくていい」、と言っているわけではないのです。
なぜなら、この有名な話に続いているからです。
「選挙とは、いまの世の中の状況で、ろくでなしの中から、
誰に税金を分配させたら、相対的にマシになりそうか、
消去法で選ぶ行為のことだ。
選挙とは要するに忍耐である」
そしてさらに、みなさんご存知のあの言葉に続きます。
「だから、民主主義は最低の制度なんだ。
これまで試みられてきた皇帝制や、王制など、
ほかのあらゆる政治形態を除いては」
だから、僕は、選挙に行こうと思います(笑)
さて、今日は参議院選だし、東京は都知事選がありますね。
政治のことは、SNSに書かないほうがいいとは言われますが、それは、リテラシーのなさを発信してしまうので、注意しなさいという言葉と同義語です。
だったら、全く発信しないか、ちゃんと発信する以外にはないのですね。でもね、SNSは、どれだけ避けていても、隠していても、伝わってしまいます。
政治はわからないと言いながら、都知事には○○氏がいいとか、って発信する方が危険ですよね(笑)政治ってのは「生活」そのものだから、自分が考える「生活」の基準を示せばいいと思うんです。僕はこう思いますってね。
その意味は、下記の言葉に集約されています。
「民主主義という制度の中で、最も大事なのは、
過半数をとったものが配慮する、少数意見の尊重」
だから、発信しちゃっていいんですよ。
人は違うし、同意しないといられないとか、同じ意見じゃないといけないとか、それこそが、民主主義の否定じゃないのかなって。
歴史が証明している全体主義の恐怖というのは、ひとつの主義主張、ひとりのリーダー、ひとつの集団になった時に、それ以外を否定するなり、揶揄するなりが始まると、そもそもの理念や理想から外れる力学が生じます。
群れるという行為は、人の中でも生存によって立つ、原始からの本能的な欲求です。それと、少数意見の尊重などという行為は、承認欲求以上の理知的な欲求です。どちらがいい悪いじゃなくてバランスを取るのがいいと思うんですよね。
そう思うと、孤独ってのは、バランスを維持するための装置なんじゃないのかなって。
いろんなことを考えたりするのに、とても大事なことじゃないかなって。大好きな人と長くいるためにも、自分自身との対話って、思索ともいうんだけど、なんか大切なんじゃないかなって、最近特に思います。
今日のブログは、そんな感じなので、僕の頭の中の話。ある、大好きなお客様に、ざっきーは普段、時間があるときに家で何してんの?って言われて、ふと思ったのですが、最近は「楽しく思索の海に潜ってる」なって(笑)
いろんなことをインプットしてきたので、自分の中で消化するためにも、考えてるなって。そんな、皆さんにとっては、関心は薄いかもしれないけど、少数意見として、こんな考え方もありますよ、というところを、書いてみたいと思います。
まあ、言うなれば、ざっきーが捉えている、現在の状況です。
アベノミクスと称される政策一つ、金融緩和政策によって、通貨安と株高がもたらされたんですが、日本企業の潜在的な成長率は、そのものが統計的に見ても頭打ちだし、結局、実質賃金は上がらず、回復を見せていません。
むしろ原油高や、通貨安などによって、輸入物価は上昇し、さらに実質賃金の回復は遅れてしまい、それに苛立つ多くの国民には、金融緩和政策による株価の上昇ばかりが目立ち、富裕層や大企業だけが恩恵を受けているように映っていると思います。
実は、実質賃金が回復しないのは、潜在成長率の低下と、労働分配率の低下が原因で、金融政策とは関係ないし、金融緩和によって、雇用者数は増えたのに、増えたのは非正規という点、つまり、正社員の身分の固定化こそが、さらなる潜在成長率を下げているのに、ここにメスを入れない限り改善は見込めないのが現状じゃないかなって思います。
これって、めっちゃ難しい命題で、イメージと現状にはギャップがあり、認識を間違うとやばいことに気づきます。
潜在成長率の低下や、労働分配率の低下ってのは、グローバリスムにあるような論調があるけど、実は、経済が成熟期を迎えると、つまり現在の状態ってのは、経済成長のセクターは、どうしてもITと、金融に偏って、教育水準の高い、知的エリートが稼ぐようになってしまいます。
実際に、僕自身が仕事を通して見ていても、この十年で経済的な成功をした人たちの多くがIT関連だし、その中でも、コミュニケーションを円滑にするネットインフラの提供や、そのインフラを使って稼ぐ方法を考え出した人です。
そして、これが大事なところですが、facebookや、blogのように、そんなインフラを創り出した彼らが提供してくれたものは、表面上は無料で使うことができ、通信コストも下がり、電子デバイスの値下がりし、世界的に見れば、最貧地域でもモバイルで世界の情報が取れるようになりましたよね。
でもこれって、その彼らが提供してくれたネットのインフラによって、世界の中で、富める者と、貧しい者がいることを、白日のもとにさらされるようになったとも言えます。SNSで見えている皆さんの世界、今まで見えていなかった世界じゃないですか?
日本国内の経済格差や、階層格差の話だけでなく、世界中で同じことが起きていますよね。
本来、コミュニケーションコストが下がることは、世界中の情報が、瞬時に取れるようになって、情報の格差がなくなれば、世界の格差はなくなるはずだったんですよね。トフラーが予言したのもこの視点だったはずです。
でも、現在の情報化社会では、その情報化社会に対応した者はより成功し、そうでない人は、不成功とは言わないけど、さほど変化のない、つまり成果の少ない、不機嫌な事実に直面することになっていないでしょうか?
簡単に言いますと、ここ十年で、皆さんの所得と資産、どれぐらい増えましたか?って話です。これ、人によって全然違う、相当増えた方もいるし、いや、そんな変わってないよっていうぐらいの格差があるのです。
そして数としては、不機嫌な事実にさらされている人の方が圧倒的に多いのです。日本だけじゃなく、世界的にもね。ということは、その人たちの方が多数決的には民主主義的には「強者」になるんですね。
そう考えると、この現在の状況の中で、稼げない人たちが民主主義的に力を持つどうなるんだろうかって話です。こんな風に考える人も出てくるんじゃないでしょうか?
そう、稼いでいる人たちに、一撃を加えたい!そう考えるのは、むしろ普通の感情かもしれません。
ここからは頭の体操ですけど、稼げない人たちが、稼げる人たちを稼がせて、そこから配分をたくさんもらうような、ピラミッド構造の逆転現象のようなことが起きるのかもしれません。
所得における累進課税というのは、まさに、稼げば稼ぐほど税金が課税される、言うなれば付加価値に対する懲罰的な税制です。
でもね、稼げない人からすれば、恵まれた地位や、金銭がないと取得できない教育水準によって、自分たちより稼げるのだから、より多く税金を払うのは当たり前だと思うかもしれません。
しかし、そうなっちゃったら、稼げるエリート層として努力だけではなく、金銭も投入する先行投資をして高学歴を得たりするよりは、なにもしないで稼ぐ人から、うわまえをはねることが楽だということになったら、わざわざ苦しい思いや、リスク(不確実性)をとって、稼ぎにいく人は、少なくなるんじゃないかなって思うんです。
こう考えてみると、現在の状況ってのは、このような動きによって、低成長時代へ突入していくことになるし、結果、低成長論を展開する意図が多いのは、わかるような気がするし、仕方のないような気がします。
なんか残念だけど、こう考えると腹落ちする点が、多々あるんです。
お客様からよく聞く話として、こんな話があります。
「従業員や、若年層が働かない、モチベーションがない、欲しいものがない、夢がない」っていう話が多いんですけど、上記のように考えると、低成長時代の意識というのは、この状況が当たり前かもしれないってことです。
なぜ、欲がないんだろう、頑張らないのだろうという、一つの回答がこれです。
このような現在の状況で、選挙を考えてみると、いろんなことが見えてきませんか?
陰謀論も何もなく、事前調査でほぼ大勢が決まっている参議院選挙や、東京都の都知事選挙のうんざりするような候補者選びのプロセスを見ていると、英国で起きているBrexit後の次の総裁選びや、アメリカの大統領選びも似たり寄ったりですよね(笑)
世界的な流れとしても、新自由主義に流れが変化し、グローバリズム自体が普遍化した現在のおいては、どうも、地域エゴや、国境などという、過去の遺物が、また、登場してくるのかもしれません。
だって、インターネットの普及で、世界はフラットになるはずでしたよね。
でも、現在の状況を見ていると、インターネットの普及によって生じたことは、稼げる人と、稼げない人との間で、世界には格差があることが公表されてしまったわけです。見えなければ、意識しなかったかもしれませんが、見えてしまったからには、自分が相対的に下層にあると認識したとすると、そのとき人は、自分たちの今ある状態から下がらないように考えるはずです。
そう、既得権の意識というのは、現在持っているものを奪われないようにする生存本能です。これを、理論理屈で放棄しろとって、できることなのでしょうか?
多くの方々は、グローバリズムというのは害悪に見えるのではないでしょうか。まるで、自分の領域に押し寄せてくる洪水のように見え、洪水を防ぐために高い堤防を作って、今より悪くなることを、せめて防ぎたいということなんじゃないのかなって。
そう考えると、日本のネトウヨの民族優位の主張も、サヨクの既得権維持も、トランプのメキシコの壁も、欧州の極右化も、いろんなことが根っこでつながっているような気がしてなりません。
インターネットの普及によって、国境がなくなるはずなのに、実際は、ボーダレスにならないで、国と国、民族と民族、それから富める者とそうでない者との間に壁ができ、その壁が高くなってきているんじゃないでしょうか?
世界は保護主義的な、内向きな状況に変化していますが、以前と違うのは、情報はボーダレスになり、人の移動も、資本の移動も自由になってしまっているという、過去に経験してこなかった現実があります。
例えば、僕自身も、話せばわかるし、理解しあえるとと思いたいけど、、、
でも、面と向かって話しをする丁寧なコミュニケーションの時間よりも、インターネットを通しての発信やSNSでのテキストのニュアンスを含まないコミュニケーションというのが増大しているので、もしかしたら、話せばわかるのとっかかりも取れないほど、さらに、話してもわからない違いが、既にむき出しになってきたのかもしれないとも感じるのです。
そう、話したら、もっとわからなくなる。
実際のところ、言い合っているぐらいならまだしも、同調圧力や、言えない状況こそが、現在の本質的な問題なんじゃないのかなって。
だから、話してもわからないと思ったら、コミュニケーションを止めて、移動を止め、壁を築いていく、そうなっても仕方がないのかなって。
でもそれって、物理的に築くだけじゃなくて、心理的に気づかれた壁は、もっと大きくて、強固なものになりはしないかと、ちょっと気が重くなります、、、
つまり、実体経済でのグローバリズムを否定する動きが出始めている現在では、何らかの地縁と血縁を中心とした社会に戻っていくことになります。
それと同時に、インターネットを介して繋がった縁とも一緒にブロック化していきます。
そこでの情報は、一つの方向にコントロールされ、情報があふれているのに、多数意見もあれば、少数意見も、それぞれの立場では対立した意見もあるのに、それすら見えなくなる危険性を孕んでいるのかもしれないと思うと、ちょっと怖いなって。
選挙の今日、自分と同じ考えの人に入れるもよし、違う考えを支持する人に投票してもいいのですよね。
僕自身は多様性(ダイバーシティ)を意識して、尊重することが、民主主義という非常に愚鈍な制度だけど、維持するには、歴史を積み上げてきた人々の思いを感じるので、そこには価値があるんじゃないかなと思って、投票に行こうと思います。
木﨑 利長
化学メーカーの住宅部門に約9年。1999年2月生命保険会社に、ライフプランナーとして参画。
具体的には、上場企業を含む約80社の親密取引先のご縁を中心に、生命保険契約をお預かりしており、財務や資金繰りといった経営課題ついての改善や、売上を伸ばすための営業研修など、お客様の事業価値を向上させるための具体的なソリューションを提供し、経営者の弱音をも受け止められる担当者を目指し日々精進中です。
(※このブログでの意見は全て個人の意見であり所属する団体の意見を代表するものではありません。)
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