素敵な先輩の背中を見ながら、僕は生かされてきたんだな♪

最近、ブログを上げてないのは、ちょっと事前チェックを徹底的にやってましてね。なかなかアップできないものが多く、書き直しているのですが、そうはいっても、時間は有限なので、ちょっと悲しい。

まあ、サラリーマンじゃないけど、会社員ではあるし、そんな僕を守ってもらうための処置だからとはいえ、一方で、己の保身のために、そんな事情も知らない認識不足のマネジメントに、あれは書くな、これはすぐに消せ!などと言われるのは、なかなかしんどいものです。

 

まあ、そんな、あと数年でいなくなる人を詰めても仕方がないのですが、これがマネジメントの限界かと考えると暗澹たる気持ちにもなりますし、時代の変化のスピードは早いのに、そのスピードについてこれなくなってるんだから、自分で引き際を考えたらいいのにと。

だって、いうじゃないですか「一頭のライオンに率いられた百頭の羊の群れと、一頭の羊に率いられた百頭のライオンの群れでは、後者の方が弱い」っていう格言です。

マネジメントのリーダーによって、組織の生産性が変わるんだよね、びっくりするぐらい。一兵卒の僕は、本当に肌で感じることでもあります、ああ、会社員だからね。

 

それと、組織や集団の劣化というものは、自分が正しい!と思い込む人が増えると起きてきちゃいます。

 

環境の変化がめちゃくちゃ激しいのだから、自分の価値観だけで判断することそこ、最大のリスク(不確実性)だし、多分、朝令暮改ぐらいでちょうどよくって、こうじゃなきゃ!って思い込むことこそやばい、、、

 

これ、相当に難しいことですよね。

人は老いるし、人は劣化する、人は自分勝手だし、人とは自分に甘い、それを知らぬうちに破ったら、それは引退する潮時、ということです。

 

実際問題として僕自身は、あと数年は、新規顧客の対応をしますが、それ以降は相当の理由がない限り、断るつもりです。

これ、マジで。

 

50歳になったら、10年ぐらいをかけて、次の世代に引き継ぎたいし、ずっと仕事をするなどというのは傲慢だしね。

最低限、僕の電池が切れた時のために、バックアップの用意は、自分ですべきなんだと考えています。

 

自分という品質のベンチマークだけは、自分で気づかないで落としたくないですからね(笑)だって、一番、自分のことを知っているのは、自分なんだしね!

 

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ざっきーです、経営者専門の保険屋です。この業界に入ったのは、今から約17年前、30歳を超えた頃でした。

今日は連休中でもありますので、僕の昔話に付き合ってください。

これなら、アップできるでしょうから(笑)

 

1991年に、僕はある石油化学メーカーの住宅販販売子会社に新卒採用で就職しました。

大学2年の時には、内定をもらってましたし(当時は売り手市場)好きだった女性が選んだ会社でもありました(笑)

 

その程度ですよ、僕のキャリアのスタートって、今だから笑い話ですが、何も考えてません(笑)

天職だの、キャリアアップだの、そんなのって大して関係がないじゃないかなって!

 

まあ、人生は「縁」ですよ、僕の実体験からですけどね。

そんな感じでも、相当なことはできるし、面白いことも、熱中できることも、いろんな出会いもあるんです。

キャリアアップってのは、多分、自分の少なことを見つける熱量の問題で、客観的な評価ではないんじゃないかな?

 

なーんて、思うので、たまーにされるキャリアアップの相談では、その熱さが感じられない人には「やめとけば」って言っちゃいます。

学歴があったって、資格があったって、履歴書が綺麗だって、使えねえビジネスパーソン、いっぱい見てきたし、そうゆう再就職支援会社での、個人のコンサルも依頼されるからやるけど、、、ああ、これな、ってことが本当に多いんです。

 

本当、人生は出会いと別れ、きっかけと没頭だから、何でもやってみるといいと思うんですよね。

 

さて、そんなバブルの香りも残る時代背景で、他にも内定はもらいましたが、当時はバーテンダーで稼いで暮らしていたし、どこでも一緒、というか、本当に世間の仕組みを知りませんでした(笑)

 

僕が高校受験の頃には、教師であった父の心は、壊れ始めていましたし、その後、退職にまで追い詰められます。母はそんな父を支えるのが精一杯で、僕は誰にも相談も何もせず、流されるままに学生生活を送っていました。

僕の場合、親戚縁者も少ないし、父が教師、しかもその頃は管理職でしたから、担任の先生も腫れ物に触る感じだし、ある意味ネグレクトされたましたから(笑)そりゃあ、まあ、成績さえ上げていれば、何も言われません。

 

今思うと、本当に愛情の対義語は、無関心なんだって。嫌いの方が、まだいい、そう思えますね。

 

結果、進学すればいい、それだけの制約でしたから(笑)でも、学校に行かせていただいたのは、本当に感謝しています。

 

その大学入ってから、司法試験とか、公認会計士って資格があるんだよとか、国家公務員上級試験とか、外交官試験とか、そうゆう、今の言葉で言うキャリアパスがあることを知りました。

昭和一桁生まれで、戦争の影響で、学歴もない父が、通信教育などで資格を取って、代用教員から教員になり、管理職まで登ったとしても、社会ってのはルールがあって、どれだけの壁があったんだろうと、今は想像ができます。

 

それに、他の家族も食べさせなければならなかった状況で、身も心も壊したんだろうなってことは、今の僕は、想像ができます。

 

父さん、大変だったよね、、、

そんな状況で、よく僕を手放して、好きにさせてくれたことを、今は、感謝しています。

 

だから、そうゆう事を知ったとしても、学費も稼ぎながら生活をしていた僕は、ま、無理やなって(笑)

 

時間も、お金も、欲望も、願望も、そんなものなくて、生活しなきゃいけなかったから、諦めと、やっぱり情報があるかないかで、人生の選択肢は、相当変わるんだなと思いました。

 

で、しゃあないと。

今思い返すと、自分の人生を生きていたとは思えないほど、欲望のない、願望のない、夢のない生活をしていたと思います。

 

とはいえ、会社というものに新卒で入ってみると、いろんな人に出会うわけで、それはもう、刺激的だったんです。

 

仕事ですから、文句を言ってっても何も始まらない(笑)

できないなら、できるしかないし、それをやるしかない!

結果、自分でも学び、弱い点を直視して、切磋琢磨しながら、鍛えながら、いろんな問題にがっちり取り組みながら、少しづつ成長することができるようになる基礎を、その頃に僕は現実の事実として、受け止めるしかなかったんですよね。

 

会社員になって、僕が配属されたのは、住宅メーカーの営業部門、そう、住宅展示場などで見込客を発見し、注文住宅の受注をする、という営業の仕事でした。

 

その、新人として配属されてから、四半期ごとに表彰式があるのですが、初めての営業部門の表彰式ってのがあってそこで、No,1だった方が、今でも僕のメンターのお一人です。

 

その方は、僕が新人の時、東京ブロックでの表彰式には必ず壇上に上がり、その時は通期の優勝だったし、全国表彰にも行かれてました。

表彰式の壇上でしか見ないその先輩が、当時の僕の憧れでした。

 

もちろん、表彰される方はいっぱいいるんだけど、他の優績者が、でかいことをゆうのに対して、その方は、ぜんぜん言わないんですよ(笑)

 

僕も、前職時代は大ボラ吹きの勘違い野郎でしたから、その凄さに、ちょっとだけ気づいたのかもしれません。

本当に凄い人は、大きく見せたり、承認欲求を満たしたりするようなことはしませんよね。

当時の僕は、自分が何者かもわかっていない若造ですから、そういった点を見抜かれているような気がしまして(笑)いつか同じ壇上に立ち、いつか、その人と仕事がしたいと思っていました。

 

でもね、その当時、僕は販売子会社採用、その先輩は親会社採用だから、絶対に一緒の職場で仕事ができない、ってことを知ることになるのです。

というか、僕って、相当抜けてましてね、会社員にとって大事なことは、知らなかったりします。

まあ、内向きのベクトルの話が嫌いなんでしょうね(笑)

 

実を言えば、30歳の時に、僕のような新卒の使えねえ小僧を育てて頂いたその会社から、今の会社に移る要因の一つが、そう言った親会社採用と子会社採用とか、学閥や学歴などのガラスの壁が、見えてしまったことにもありますので。

 

幼いでしょ(笑)今の僕には笑い話ですが、その時は、どうしても納得ができなかったんだよね。

社会というのは、不平等で、不公正で、格差がいっぱいあるのですけど、それでも、機会の平等だけがあれば、いいんじゃないかなって、今の僕は思いますけど、当時の僕は、無理だったのです。

 

さて、

その憧れであり、尊敬していた先輩とは、前職時代は、口を聞いたことすらありません。

だって、本当に雲の上の方だったからね。

 

でも、僕が転職して、保険屋さんになって、しばらくすると、行くところがなくなりましてね(笑)

 

でも、そうなると経済的に破綻するから、前職の従業員名簿を使わせていただいて、会っていただくきっかけを作るのです。

そんな、アポイント依頼の連絡をしても、2/3ぐらいの方が居留守を使い、保険の話もできなかった当時、その頃の僕の奥さんだった人が、偶然、その方と同じ部門にいたので、彼女の力で会う機会を頂くことができました。

 

ありがたかったですね。今でも感謝していますよ、本当に。

 

で、アポイントを頂戴して、僕の話を聞いて頂いていたんです。

 

でもね、憧れの方に話すようなレベルの話じゃなかったと思う。

もう、売れない営業マン、全開だったと思う(笑)

だって、それから、1〜2年で、家庭も何もかも崩壊するぐらいまで行ってしまうような、だめだめな保険屋さんだっから。

 

相当、あかんかったと思います。

 

だけど、その先輩は、僕がいろいろ当時考えていた夢物語のようなことにも、共感してくれたり、僕がやることになってしまったFPの勉強会を手伝っていただいたり、挙げ句の果てに、ご自身のノウハウの塊のような、住宅ローンについてのFP的なアプローチ方法などを教えて頂いて、僕に、外部講師の仕事まで回していただきました。

 

今思うと、全部、お見通しされていたんだと思います。

今振り返ると、全部、分かっていて、僕を助けて頂いたんだと思います。

 

今わかることは、無理していたり、豊かでなかったりする人が、嘘をついてまで自分を大きく見せたりしていても、ちゃんと自分を鍛え上げてきた方からは、見えてしまっているのです、まあ、丸見えです。

 

そう、バレてるんですよね。

 

最近、そうゆうことが頭で理解するだけでなくて、本当に感じ取れるようになりました。

先輩、あの時は本当にありがとうございました!

よくもまあ、あんな縁の薄い僕なんぞに手を差し伸べて頂きまして、ありがたく思います。

 

その方ご自身は、僕の前職の会社で、ご自身のキャリアビジョンを途中で変えられ、会社内ベンチャーような形で金融機関を立ち上げられ、役員をされていらっしゃいます。

僕が保険屋さんのキャリアを重ねてくる中で、いろんな時にアドバイスを頂いたり、FPという視点で、リテールの市場を見た時の現実と理想のギャップの話や、金融機関というところで市場に接していると感じる、本当の経済の胎動など、まあ、無形の価値ある時間を共有させて頂く機会を頂きました。

今は、FPの勉強会も諸事情あってできなくなったり、多忙な方なので、なかなかお会いできませんが、週末に久しぶりにメールを頂戴して、ああ、僕は本当にお世話になった方に対して、ちゃんとしとらんな、って自省した次第です。

 

気がつくと、僕の今は、いろんな方の「縁」と「運」でしかできていない気がしています。

 

自分が何かできるとか、自分でしなきゃいけいないとか、社会に貢献するとか、価値を生み出すとか、僕もしょっちゅう言っていますが、最近、ちょっと違うなって(汗)

そんな大きな話じゃなくてさ、自分は誰かに生かされているということ、自分だけでは無理だってことに気づいて、もっと小さくてもいいから、目の前のことや、よくしてもらったことに対しての感謝とか、そうゆう日々のことを大事にせんとな、って思うようになりました。

先輩、一献をお願いします。良いお店があるので、ご一緒してくださいね。

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木﨑 利長

木﨑 利長

ざっきー
1968年名古屋市生まれ。金融機関に勤務。クライアントの事業価値を向上させる事を目的とし、仕事を通して取り組んでいます。
化学メーカーの住宅部門に約9年。1999年2月生命保険会社に、ライフプランナーとして参画。
具体的には、上場企業を含む約80社の親密取引先のご縁を中心に、生命保険契約をお預かりしており、財務や資金繰りといった経営課題ついての改善や、売上を伸ばすための営業研修など、お客様の事業価値を向上させるための具体的なソリューションを提供し、経営者の弱音をも受け止められる担当者を目指し日々精進中です。
 (※このブログでの意見は全て個人の意見であり所属する団体の意見を代表するものではありません。)

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